2008年8月23日 (土)

アル・ジョルスンの遠距離恋愛

LARRY PARKS in "THE JOLSON STORY" (1946)



数日前に近所のビデオレンタル屋で
「アル・ジョルスン物語」(1946年)を借りました。
卒業論文を書いていた時にチラ見しただけなので、
あんまり話がに面白くなかったという事しか
覚えてませんでした。

再び見た感想は、やっぱり話は面白くなかったけど、
個人的に興味深いところが何点かありました~。

1946年にコロンビアで作られたこの映画は、
20世紀初頭のブロードウェー&ハリウッドで
大成功をおさめたシンガー、アル・ジョルスンの
半自伝的になサクセス・ストーリーです。

自伝といってもこの頃は本人も現役で、
バリバリに顔をきかせていたので、
ジョルスンに否定的なところは一切出てこない、
ストーリーが進んでいきます。
見終わった観客は、たぶん、ああ、なつかしい歌だ、
ジョルスンって凄いね、歌が本当に好きなんだね、
何て感想を持つような感じです。

それでも当時では「風とともに去りぬ」以来に
ヒット映画だったらしく、アカデミーを6部門受賞し、
1949年には「ジョルスン再び歌う」続編が作られたました。

津野海太郎先生の授業の話では、
はじめ、ジョルスン自身がジョルスン役を
演じたかったらしいですが、さすが60歳近い初老の男性が
10代~30代を演じるのは微妙だと判断されたため、
オーディションをする事になりました。

その役を射止めたのは、当時まったく新人のラリー・パークス。
ジョルスンに背格好が似ている理由で抜擢されたそうです。
パークスはジョルスンの、分かりやすい動きを
しっかりコピーしていて、たいしたもんでした。
でも、歌はジョルスンたっての希望で本人が
吹き替えしたそうです。(独特の声ですし)

その後、パークスは大スターになるのですが、
不幸な事に1950年代、共産党に入っていたことがばれて、
「ハリウッド・テン」として、悪名高い赤狩りの犠牲者になりました。
その後、ハリウッドから追放され仕事も無く、
60年代に心臓発作でお亡くなりになりました。(涙)

そうそう、興味深かった事はジョルスンが
「ミンストレル・ショー」楽団で働いていた時
立ち寄ったニューオーリンズのシーンで、
最先端のジャズを演奏する「黒人」と接して
積極的に取り入れようとするシーンです。

「ミンストレル・ショー」は1800年代にボードビル劇場で
一生を風靡した芸で、白人が顔を黒く塗って、
ステレオタイプの「おばかな黒人」を演じながら歌い踊る、
きわめて差別的ともいえる、アメリカポピュラー音楽史上で
最も物議を醸し出しているショーの一つです。

ジョルスンはまだ劇場では人気があった、
「ミンストレル・ショー」に参加し、
そこで新しい音楽だったジャズを巧みに取り入れ、
一躍ビックスターの座に躍りでたのです。
そのスタイルは生涯にわたり系統することになりました。

ところで、どこかで見たジョージ・ガーシュインの伝記映像の中でも、
彼が黒人の教会に通うって感銘を受けるシーンがあって、
そことダブりました。そして、ガーシュインも
ジョルスンと同じくユダヤ人です。

あはは、これ実は卒論の題材だったんですよ。
その時は、うまくまとまらなかった事もあり、
生涯の研究項目になりそうです。

そしてジョルスンは生涯で何度か結婚し、
映画の中ではジュリー・ベンソン(Julie Benson)
という女性と結婚をします。

その人は名前は違いますが、
ジークフェルト・ガールとして人気が出て、
その後、ワーナー・ブラザーズで変態振付師&映画監督の
バスビー・バークレイと何本もヒット作を作った、
女優&ダンサーのルビー・キラー(Ruby Keeler)です。

結婚した当時はジョルスンがワーナーで初のトーキー映画、
「ジャズ・シンガー」の撮影をしていた時。
映画が成功後、ワーナーのお偉いさんにジョルスンが
ルビー・キラーを紹介したのでしょうね。
結果として彼女の主演で撮った「42番街」は、
バスビーの機械主義的に幾何学模様を作る、
斬新な振り付けのミュージカル・シーンと
可愛らしいルビーのタップダンスに
爽やかな男優ディック・パウウェルが受けて、
大ヒットになるのです。

当り前の事だけど、文章で「ルビーが映画デビューしたきっかけは
ジョルスンだった」と今まで読んだことがなかったので、
今回、この映画を見て初めて気がつきました。

案外、ハリウッドで働くジョルスンは
ニューヨークでジークフェルト・ガールとして働いていたルビーとの
遠距離恋愛がつらかったから、ハリウッドに来いよ!
って誘ったのかもしれませんね。笑

Ruby Keeler "42nd Street Title Number"


(かずみ)

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2008年8月15日 (金)

狂乱の20年代と悪夢 の「ハッピー・フィート」

Paul Whiteman - King of Jazz trailer (1930)

"King of Jazz"と言えば1930年にUniversal Picturesが、
当時最も有名なバンドマスターだった
ポール・ホワイトマン(Paul Whiteman)を起用し、
音声付+2色テクニカラー(最新技術)を駆使して作った
ミュージカル(ボードビル)映画です。

しかし、60年代以降はかなり評価が低くなってしまったでしょうね…。

え? なぜって。
それは「黒人」を閉め出し「白人」が完全にジャズを
自分の手柄にしたように描いているって悪名高い物に
なってしまったからです。

キャストは全部白人。

ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」を高々に掲げ、
フィナーレの「メルティング・スポット」は、
「西ヨーロッパ」+「ロシア」っぽい民族衣装の軍団が鍋の中に入り、
出てきたらアメリカナイズされ、タップを踊りジャズを演奏してます。
まさに当時の世相を凄く反映して、
ルーズベルト&ニューディールが万々歳です。

でもね…でもね…でもね…、それでも好きな映画なのよ。
それでも当時のポール・ホワイトマン楽団は凄かった!

20年代のジャズの有名どころは、
やっぱり彼が押さえていたし、
その(恐慌を生き残った)オールスターが
この映画には勢ぞろいしているのです。

演奏、ダンス、喜劇、寸隙、アニメーションなど、
短いショートフィルムが目まぐるしく繋いであるので、
少し雑に見えますが、物凄いパワーだけは伝わってきます。
当時を知る上で、かなりの貴重価値のある資料です。
(Joe VenutiとEddie Langの演奏もカラーで見れるし、凄すぎる)

私は女性コーラス・グループのThe Brox Sistersも好きですが、
ビング・クロスビー(Bing Crosby)率いるThe Rhythym Boysが歌う、
"Happy Feet"のシーンが死ぬほど好きです。
これほど悪夢に近く、テンションの高い映像は、
そうそう見れるものじゃないです。

なんか"Roaring 20s"(狂乱の20年代)を
生き抜いた人達の底力というか、
やけくそ具合と、スピード感は圧倒的。

あとこの"weird"な感じは、ディズニーもそうだけど、
ジャズがハイ・カルチャーになった時、
ポイしちゃった部分なんですよ。たぶん。

整備される前。
マックス・フライシャーの短編を見て
「ヤバ!」って思う瞬間。

私は「それ」を発見するたびに、
最高に爽快な気分になります。

3つに別れているけど、
Youtubeで見れるから"Happy Feet"をチェックしてね。

まず冒頭から映る靴が気持ち悪いでしょ。

頬を真っ赤に化粧をいっぱい盛った
The Rhythym Boysははっちゃけてるでしょ。

その後、出てくる歌の下手な
女性2人組のダンスは何かを摂取した後みたいでしょ。

足がゴムのように曲がるAl Normanの有名なダンスは、
かなり危ない人でしょ。(ブレイク・ダンスっぽい)

タップダンスのライン・ダンサーズは
足音を鳴らしてこちらに迫ってくるでしょ。

最後はデブのホワイトマンが踊りだすでしょ!

ああ、最高! ナイトメアのようだわ!

(かずみ)

King of Jazz: Happy Feet: Part 1 of 3


King of Jazz: Happy Feet: Scene 2 of 3


King of Jazz: Happy Feet: Part 3 of 3

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2007年8月 7日 (火)

8月ジャネット・クライン定期演奏会レポート

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STEVE ALLEN THEATER
at the Center For Inquiry - West
4773 Hollywood Blvd
Los Angeles, CA 90027
(323) 666-4268
http://www.steveallentheater.com/

毎月第一木曜日に「セピア色のオールド・タイム・レディ」
ジャネット・クライン(Janet Klein)と
ハー・パーラー・ボーイズ(Her Parlor Boys)はハリウッドの
スティーブ・アレン・シアター(Steave Allen Theater)で
定期演奏会をおこなっています。

前半はアニメーター兼フィルム・コレクターの
ジェリー・ベック(Jerry Beck)の
サイレント短編映画の上演に、
後半はジャネット・クラインの
1920年代~40年代音楽の素敵なショーの
二本立になっています。

映画と音楽のコラボレーション、素晴らしいですね。
是非、日本でもライブと映画上映を定期的にやりたいですわ~。

本日のジェリーさんのフィルムも実に面白かったです。
アニメーションと2本と実写の1本。
はじめに上映した「Laundry Blues (1930)」は
ベティちゃんやポパイで知られる、
マックス・フライシャー社の
初期のフィルムで、弁髪を結って中国人に扮した
ニャンコ達が歌って踊るミュージカルでした。
中国語とも英語ともつかない
言語を話すニャンコ達は滑稽でしたが、
バーバースタイルの合唱は見事でした~。

そして、いつも10人ぐらいパーラー・ボーイズ達が集まる
ジャネット・クラインの定期演奏会ですが、
その日は日本で乙女の心を鷲づかみにした、
ウクレレ弾きの英国紳士イアン・ウィットコム(Ian Whitcomb)は
オレゴン州のフェスに出かけていて不在でした。残念。
あの愉快な歌とウクレレを見たかったわ。
来月を期待しましょう。

でも、我がラジオデイズの
天才「チョイ悪」ギタリストのトム・マリオン(Tom Marion)や、
ラグ・ピアニストのブラッド(Brad Key)、
ジャンゴ・スタイルのギタリストのビリー(Billy Steele)、
コルネットのコーリー(Corey Gemme)、
ベースのデイブ(Dave Jones)が人数は少ないながらも、
がっちりジャネットの脇を固めていましたよ~。

すでに新たにレコーディングを始めているジャネット。
新曲をたくさん披露していました。
日本のツアーのアンコールで
歌っていた歌(名前を忘れた)などはすでに
レコーディングが終わっているそうです。
今からニューアルバムが待ち遠しいですね。
首を長くして待ちましょ~。

5thアルバム"Oh!"の「That's Love」、
4thアルバム"Scandals"「Living in Sin」など、
「ジャネット・ライブのスタンダード・ソング」も
もちろん演奏してました。

そして本日はスペシャル・ゲストに、
ピアノのブラッドが連れてきた期待の新人ブルースギタリスト、
ジェローン(Jeron Paxton)がステージ上がりました。
彼はなんと「18歳」で「ブラック」で「ブライド」という
無敵のブルース・ギタリストなんです。
だからオールド・ミュージック愛好家達の間で、
かなりヒップな存在みたいです。
もちろんギターも歌も最高でしたよ~。

さて、来月はどんな短編映画とショーが見れるのでしょうか。
その前に今週の11日(土)にスティーブ・アレン・シアターで、
クラシック・カーのショーとアイスクリーム・ショーがあり、
それにジャネットが出演するそうです。
楽しみ、楽しみ。(特にアイス)

(かずみ@Rosy)

ジャネット・クラインのCDは現在輸入盤のみですがAmazonで取り扱ってます。




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2007年6月 3日 (日)

継続は力なり

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photo by 中山可奈子 (上記1点)

さぁ、真打の登場です。
一度彼女に出会ったら絶対に忘れることが出来ないはず。日本で唯一「モガ」の「日常」を実践されている、淺井カヨさんにインタビューをしました。カヨさんは昨年、柴又で行われた大正時代コンテストでも優勝されました。他の参加者は「仮装」ですが、カヨさんにとってこの装いは「日常」なのです。「ヴィンテージを日常に」を推奨したいラジオデイズにとって、カヨさんはお手本にすべきアイドルです。さて、どんな話が飛び出すのでしょうか・・・?

大正時代コンテストの様子

与野の大正時代祭りの様子

Q1 大正、昭和初期の文化に触れたきっかけを教えてください。

旧家の生まれで、祖父母が古いものを大切にしていたので大正、昭和初期のものが身近に混在していました。それらを見て育ち、自然とその時代のものに興味を持ったと思います。物心がついた頃に、愛知県犬山市の野外博物館「明治村」と岐阜県恵那市明智町の「日本大正村」へ出掛けて、強い衝撃を受けました。その後、中学一年生の頃にアンティーク好きの友人の影響もあって、古いものを集めるようになり高校時代からは骨董市へ出掛けていました。

Q2 どんなきっかけで「モガ」スタイルになりましたか?

平成十六年春、「大正ロマンチカ」の花見会へ初めて参加した時に、モダンガールの洋装を探し回って自分なりのモガの装いに挑戦しました。同年に、大正、昭和初期のものを蒐集している方と知り合い、その方のその時代へのこだわりが半端でなかった為、元々好きだった骨董蒐集と大正、昭和初期について、もう一度見直すきっかけとなりました。

元々はヴィクトリア朝の美術や文化に強い興味を持っていたのですがロココ趣味、アリス嗜好と相俟って、長らくロリータ・ファッションを愛好していました。今もその世界は好きですが、モダンガールが自分にとって最もしっくり来るスタイルだと確信し、現在に至ります。

Q3 「モガ」スタイルを実践するために、心がけていることはなんですか?

一日一回は、大正、昭和初期の文化に触れるようにしています。
当時の仮名遣いの本を読んだり、音楽を聴いたり、建物を観に出掛けたり、展覧会を見たり、昭和初期の献立で料理を作ったり、当時から営業している料理店へ出掛けたり、無声映画を観たり、大正生まれの方にお話を伺ったり、骨董市へ出掛けたり、、、と本当に様々ですが、それら全ての経験が、現代のモダンガール実践の血となり肉となると思っています。

髪型は下北沢「セピア倶楽部」にて、断髪にしています。形を整える時は、椿油(大島産)を使います。基本的には、天然色素の化粧品しか使いません。(労働時以外は)香水を纏わず、帽子を被らず、手袋を持たずに、外出をしないことにしています。

当時の洋装、またはそれに近い形のドレスを入手出来た時に気を付けることは、そのまま着用しないと云うことです。自分なりに、そのドレスに最も合うと思われる帽子、手袋、アクセサリー、イヤリング、鞄、ハンカチ等々の細かい点まで、姿見で何度も合わせて納得が行くまで組み合わせます。この組み合わせが 「モガ」スタイルを実践する上で重要な点です。

Q4 素敵なお洋服、小物は何処で手に入れてらっしゃいますか?

都内の骨董市(新井薬師、富岡八幡宮、平和島骨董祭、骨董ジャンボリー、など色々です。骨董市へは早朝から出掛けます。)、西荻や川越の骨董屋、セカンド・ハンド、福祉バザー、古物、中古品店など、古いものが有りそうな場所へは、何処にでも出掛けます。基本的には、自分の足で探して見つけています。

Q5 カヨさんお勧めの大正浪漫な場所を教えてください。

岐阜県恵那市明智町の「日本大正村」にある「天久喫茶」がお薦めです。ここは、京都千本通りの大正十二年開店のカフェーを復元したものです。白エプロンの本物の女給さんも働いています。「日本大正村」には、様々な大正建築がありますので是非足を運んでみて下さい。

埼玉県川越市の「大正浪漫夢通り」には、素敵な大正建築があります。また、同じく川越市の「モダン亭 太陽軒」(大正11年創業)は、大正浪漫の雰囲気を味わいながら食事が出来る場所です。

北九州市の門司港駅舎(大正三年)も必見の価値が有ります。初めて此処を訪れた時は、本当に心が動かされました。京都、四条大橋南西にある東華彩館(大正十五年)も通るたびにわくわくしました。

澁澤榮一翁の東京都北区、晩香廬(大正六年)、青淵文庫(大正十四年)も素晴らしい建物です。また、文京区音羽の鳩山会館(大正十三年)は、ゆっくりと過すのに最適な場所です。

東京駅旧石川組製糸西洋館(入間市)、弥生美術館竹久夢二美術館江戸東京たてもの園の旧大川邸いちかわ西洋館倶楽部、井の頭公園駅近くのカフェー「宵待草」、、、とまだまだ沢山ありますが、長くなりそうなのでこの辺りにします。

Q6 最近、感銘を受けた本・映画は何ですか?

【本について】
最近、埼玉県立近代美術館で開催された「澁澤龍彦 幻想美術館」(監修・文 巖谷國士)の本は、単なる図録ではなく、もう一つの美術館が此処にあるかの様でした。

「変身」(嶽本野ばら著)
現存する最古のカルーセルエルドラドに乗る為に、「としまえん」へ行かねばなりません!

【映画について】
モダン活劇「海浜の女王」(昭和2年 15分)柏三枝のモガ姿に、鈴木伝明のモガ女装など非常に面白い作品でした。

先日、いちかわ西洋館倶楽部にて「熱砂の舞」(ルドルフ・ヴァレンチノの遺作、1926年)を観たのですが、ファッションや小物など大変興味深く思いました。実際にはありえない様なアラブ世界に感じましたが、、、。無声映画ピアノ伴奏の柳下美恵さんの演奏も素晴らしかったです。

Q7 最後に「モガ」を目指す若者に一言。

あの時代の、総合的な探究が最も重要だと思います。一言で表すのは、難しいのですが「継続は力なり」でしょうか。

新しき「モガ」に出会えることを、心より楽しみに致して居ります!

淺井カヨ

photo by 西浦良一 (以下3点)



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